こんにちは!2023年1月にスタートする松潤演じる大河ドラマ「どうする家康」。徳川家康は歴史的な人物ですが、一体どのような幼少期を送ったのでしょうか?書いていきたいと思います。
家康の幼少期ってどんな風に過ごしたの?
竹千代こと家康は、三河国を治める松平家の大切な跡継ぎとして生まれました。遠江国と駿河国を支配する今川義元、尾張国を支配する織田信秀の二つの強国に挟まれ厳しい状況の中です。
お父さんの名前は、松平広忠。お母さんの名前は於大(おだい)です。
寅のづくしで生まれる
不思議なことに家康は寅の年の寅の月、寅の日の寅の刻に寅づくしで生まれました。将来は寅のように強い武士か、天下人になるに違いないと噂されます。
母との別れ
家康のお母さん「於大」とは2歳の時に別れます。於大の兄の水野信元の裏切りにより、家へ帰されることになったためです。
母と竹千代との再会は16年後となってしまいます…。
誘拐され5歳で織田家の人質に
今川家は、政略のため松平家の跡継ぎ竹千代を人質にしたいと思い始めます。
しかし今川家の人質になるはずが…その旅の途中で、戸田康光という武士に誘拐され織田家に売られてしまうのです!
奪還!8歳で今川家の人質に
人質にするはずだった竹千代を誘拐され今川義元は怒り狂いました。織田信秀の領土へ攻め入ります。信長の異母兄、信広を人質にさらいました。
その「信広と竹千代を交換しろ」と条件を付け、竹千代を奪還します。
家康の実父死す…
今川家の人質になった矢先。竹千代のお父さん、松平広忠が殺されたと知らせが…。
家来である岩松八弥によって殺されてしまうのでした。岡崎城も乗っ取られてしまいます。
竹千代は何もできない人質の身、辛く苦しい日々を過ごします。
※父の死については病死など諸説あり。
今川家で意外と大切に育てられる
エリート教育
今川家での人質という印象はだいぶ違ったようです。竹千代は大切に育てられることとなります。
今川義元は、竹千代を駿河に招いて庇護下に置き一人前の武将として教育しようとしたのでした。
義元は、自らの師匠でもあった太原雪斎という先生を竹千代につけ、エリート教育を施しました。いかに竹千代に期待していたかが分かります。
家康幼少期の時系列
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0歳1542年家康が生まれる
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2歳1544年2歳母と別れる
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5歳1547年織田家に誘拐される
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7歳1549年今川家の人質、父・松平広忠が死ぬ
まとめ
以上、徳川家康の生まれてから幼少期の解説まとめでした!物のように人質として交換され…過酷な幼少期を過ごしたようです。誘拐に、父の死と波乱万丈な家康。
次回は幼少期(後半)をお送りしたいと思います。